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堀部安兵衛武庸の碑

亀島川の3番の橋の亀島橋の近くには堀部安兵衛武庸の碑があります。

安兵衛さんは、新潟新発田の生まれで浪人となって江戸へ出て、現在の新宿区新戸町にも住んだりしていましたが、ここにも住んでいたんですね。

亀島橋近くの堀部安兵衛武庸の碑1 堀部安兵衛武庸の碑1

赤穂浪士、忠臣蔵で活躍する堀部安兵衛武庸は、当時の水谷町(現在の八丁堀一丁目)に居住し、赤鞘安兵衛と称し、剣道の達人として知られていて、元禄7年の有名な高田馬場の仇討ちで、彼の武勇は江戸中に伝わったとのことです。

堀部安兵衛武庸は「ほりべ やすべえ たけつね」と読みます。お父さんは中山弥次右衛門と言う人で中山姓ですが、高田馬場の仇討ち事件を知った穂浅野家家臣堀部弥兵衛さんが養子縁組を望んで、堀部姓に変わります。

赤鞘は「あかざや」と読みます。何故、赤鞘安兵衛と称していたのか?それは調査中です(^^)。ご存知の方は教えて下さい。 連絡先はこちらをクリック。

亀島橋近くの堀部安兵衛武庸の碑2 堀部安兵衛武庸の碑2

この堀部安兵衛武庸の碑は昭和44年8月の八町堀一町目の町会によって作られています。

亀島橋近くの堀部安兵衛武庸の碑3 堀部安兵衛武庸の碑3

碑文を書き写しました。間違っていたらゴメンナサイ(^^)

堀部安兵衛武庸之碑
越後新発田五萬石溝口藩中山弥次右衛門の子
寛文十一年生れ元禄元年江戸之念汽堀内道場へ入門
元禄四年玉木一刀斎道場師範元禄七年二月高田の馬場に於て
叔父菅野六郎左右衛門之仇討
其の後も京橋水谷町儒学者細井次郎大夫家に居住
浅野家臣堀部家の妙と結婚堀部安兵衛武庸となる
禄高二百石元禄十四年十月本所林町に於て長江左衛門の名で剣道指南
元禄十五年十二月十四日赤穂義士の一人として吉良邸に乱入仇討す
元禄十六年二月四日歿三十四歳
法名 刀雲輝剣信士

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