スポンサードリンク

写楽と伊能忠敬

亀島川の3番の橋の亀島橋の近くには、堀部安兵衛住居跡以外にも東洲斎写楽と伊能忠敬の案内版があります。

この様な資料があると、江戸文化がこの付近から発信されていたんだなと感慨深くなりますね。

写楽と伊能忠敬の案内版 写楽と伊能忠敬


写楽の拡大 写楽の拡大

東洲斎写楽
江戸時代の浮世絵師。天明から寛政
年間頃の人。
 一七九四年(寛政六年)五月から翌九
五年の正月までの十か月間で、役者絵、
相撲絵の版画約一四〇点を製作した。
 写楽はそれまでの常識を覆す雲母
摺りの豪華な背景と、リアルな表情と
姿態を描き、日本を代表する浮世絵師
の1人として世界に知られている。
 写楽の生涯や正体は不明な点が多かっ
たが、幕末の考証者・斎藤月岑(げつしん)は「増
補浮世絵類考(」一八四一年)で「写楽は
江戸八丁堀に住む阿波藩の能役者の斎
藤十郎兵衛」と記載した。
 さらに、一九九七年(平成九年)埼玉
県越谷市の法光寺に残る過去帳に「江
戸八丁堀地蔵橋に住み、阿波藩に仕え
る斎藤十郎兵衛が一八二〇年(文政三年)
三月七日に五十八歳で死亡した」との
記述が発見され、写楽と斎藤十郎兵衛
が同一人物で、ここ八丁堀に居住し
ていたとの説が注目されるようになっ
てきた。


伊能忠敬の拡大 伊能忠敬の拡大

伊能忠敬  1745年(延享二年)〜一八一八年(文政元年)。
 近代的日本地図作成の基礎を築いた人。下総国(千葉県佐原市)
の名主を務めていたが、五二歳の時に江戸に出て西洋天文学
の勉強を始めた。五六歳から七二歳にわたり、延べ三千七
百三十七日、約四万キロメートルに及ぶ徒歩の日本全国測量
を行った。その成果を
編纂した「日本沿海輿
地全国・実測録」は我
国の八点に大きく貢献し、
海外でも高く評価された。
千八百十四(文化一一年)、
深川の隠宅を八丁堀亀
島町に移した忠敬は、
地図作成を続け、四年
後この地で没した。

スポンサードリンク

 サイトメニュー

 亀島川と5つの橋

 近辺施設・風景

スポンサードリンク

サイトMENU

Copyright (C) 2008-2016 東京・亀島 リバーサイド ガイド. All Rights Reserved.